胡 若愚(こ じゃくぐ)は、中国の人名。中華民国時代に、同姓同名の2人の要人が存在する。
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胡若愚 (雲南) - 雲南派(滇軍)の軍人。本記事で詳述する。
胡若愚 (安徽) - 安徽省合肥県(現在の合肥市)の人。1895年生まれ。北京政府奉天派の政治家から国民政府に転じ、1930年前後に青島市長や代理北平市長を務めた。
胡若愚(こ じゃくぐ)は中華民国の軍人。雲南派(滇軍)の有力軍人である。別名は学礼。字は子嘉。
地主の家柄で、父は秀才である。胡若愚は、羅平両等小学堂を卒業後、1910年(宣統2年)に雲南陸軍講武堂第4期で学ぶ。1911年(宣統3年)10月の昆明重九起義(雲南辛亥革命)では、革命派として参加した。その後は、唐継尭の下で昇進を重ね、護国戦争(第三革命)や護法戦争にも参戦し、1918年(民国7年)、旅長となった。
1922年(民国11年)春、胡若愚は、唐継尭から第2路司令兼前敵副総指揮(すぐに総指揮に昇格)に任命され、顧品珍を倒して唐の復権に貢献した。この功績により、胡は滇中鎮守使兼戒厳司令に任じられ昆明に駐屯したが、間もなく滇南鎮守使に遷り、蒙自に駐屯した。この時、竜雲・張汝驥・李選廷も鎮守使に任命され、胡と共に唐配下の4鎮守使となっている。
1925年(民国14年)、唐継尭の命令により、胡若愚は竜雲らと共に広西省へ進攻したが、新広西派の反撃に遭って敗退した。その後、唐が弟の唐継虞らを重用して4鎮守使の権限を削減しようとし、さらに国民政府に逆らって独自路線をとろうとしたため、胡、竜らは反感を抱いた。そして、1927年(民国16年)2月6日、4鎮守使は兵変を起こして唐を下野に追い込む。3月8日、胡は、雲南省政府省務委員会主席委員として、国民政府への忠誠を誓った。胡は国民革命軍第39軍軍長、竜は国民革命軍第38軍軍長にそれぞれ任命されている。